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東京地方裁判所 昭和44年(ヨ)2267号 判決

申請人

石橋昭雄

外六名

右訴訟代理人

芦田浩志

外五名

被申請人

学校法人立華学園

右代表者理事

大石橋与作

右訴訟代理人

所沢道夫

外一名

主文

1  申請人らが被申請人の専任教諭たる地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は、昭和四四年五月以降毎月末日限り、

申請人石橋昭雄に対し一か月金四五、三三〇円

申請人岡部晃に対し一か月金三六、六三〇円

申請人森川善弘に対し一か月金三四、一五〇円

申請人森川礼子に対し一か月金三四、一五〇円

申請人久保勝彦に対し一か月金三五、五〇〇円

申請人恩田節子に対し一か月金三四、一二〇円

申請人中山美智子に対し一か月金一八、〇五〇円

の各割合による金員を仮に支払え。

3  訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実《省略》

理由

一、雇用関係の存否について

(一)  雇用契約の成立

申請の理由一の事実は当事者間に争いがない(以下単に「争いがない」と略述する)。

(二)  解雇の意思表示

抗弁事実は争いがない。

(三)  本件解雇の意思表示の効力

1  本件事前協議条項の存在

分会と被申請人とが昭和四一年二月二四日「確認書」と題する書面を作成し、その第二項において、「学校法人立華学園理事会は、分会の組合員に対して不利益処分を行なおうとするときは、事前に分会と団体交渉を行つて話し合う。」旨の本件事前協議条項を規定したことは争いがない。

〈証拠〉によれば右確認書には分会および被申請人の各代表者の記名押印が存することが認められるから、本件事前協議条項は労働協約の性質を有する。

そして本件解雇の意思表示当時即ち昭和四四年三月二六日現在申請人らが分会に所属していたことは争いがないから、申請人らは本件事前協議条項にいう「分会の組合員」に該当する。

2  本件事前協議条項の趣旨

(1)  本件解雇の意思表示の理由とするところは、被申請人の経営困難打開のための人員整理にあることは争いがない。このような場合においても、解雇等の不利益処分の必要性、基準および規模(被処分者の数)が右事前協議条項の協議事項に含まれることについては、被申請人の明らかに争わないところであるから自白したものとみなす。

(2) 申請人らはこのような場合に生ずる被処分者の特定の問題も右事前協議条項に基づく協議の対象に含まれると主張し、被申請人はこれを争うので、この点について検討する。

〈証拠〉によれば、右確認書には他に協議事項を不利益処分の必要性、基準および規模のみに限定する趣旨の記載の存しないことが認められる。そうとすれば、個々的に行なわれる不利益処分の場合と経営困難等を理由とする人員整理に伴う解雇の場合とではその処分理由等において異なる点があるとはいえ、後者の場合でも解雇される者の側からいえばその理由はどうあれひとしく不利益処分に当たるというを妨げないから、右のような人員整理の場合にも、右確認書締結時の経緯その他から反対に解すべき特段の事情のあらわれない限り、右事前協議条項に基づく協議は被整理者を特定して行なわれることを要するものと解するのが相当である。

ところで、〈証拠〉によれば、昭和四一年二月中旬ころ被申請人が申請人石橋に対し同年三月限りで退職するように迫つたところ、これに対し分会が中心になつて反対し、その結果被申請人は同年二月一七日右退職勧告を撤回したこと、これを契機として同月一八日それまで非公然の存在だつた分会は被申請人に対し分会の存在を通告してその存在を公然化させたこと、そして、このような過程のなかで同月二四日被申請人と分会との第一回の団体交渉が行なわれて前記確認書が締結されたこと、右確認書第二項の事前協議条項は申請人石橋に対する右退職勧告問題を念頭において設けられたものであることがそれぞれ認められ、〈証拠判断省略〉。

そして、右の団体交渉の際およびその後本件解雇に至るまでの右事前協議条項の運用の実際において、右条項が経営困難等を理由とする人員整理の場合には適用がないとか、あるいはそのような場合には人員整理の必要性、基準および規模のみを協議すれば足り被整理者の特定の問題は協議の対象とならないとかが被申請人と分会との間で確認されたり、あるいはそのような運用がなされてきたと認めるに足りる証拠はない。

被申請人は、本件解雇に至る団体交渉の過程で分会がただの一度も整理対象者の氏名を明らかにするように要求したことがないとして、このことは被申請人のみならず分会も右事前協議条項が個々の人員整理対象者の氏名を明らかにして協議することまで要求していないという解釈をとつていたことを裏書きするものである旨主張する。しかしながら、後記認定のように分会は右団体交渉の過程で被申請人に対し人員整理の結果立華学園に残留する者の氏名を明らかにするよう求めているのであつて、このことはとりもなおさず整理対象者の氏名を明らかにすることを求めたものといいうるのであるから、被申請人の右主張は理由がない。

そして、他に本件事前協議条項が被整理者の特定の問題を協議の対象から除外していると解すべき特段の事情の存することについては、被申請人はなんら主張せず、また、これを認めるに足りる証拠もないから、被整理者の特定の問題も右事前協議条項に基づく協議の対象に含まれるものと解するのが相当である。

(3)  以上のような本件事前協議条項の趣旨にかんがみれば、経営困難等を理由とする人員整理に伴う解雇の場合にあつても、人員整理の必要性、基準および規模のみならず被解雇者とされる者がだれか、また、これが整理基準に該当するか否かのいわゆる被解雇者の特定の問題のすべてにわたり被申請人と分会とが信義に従い誠実に協議を尽すことを要するものというべく、被申請人が分会から右協議を拒まれる等特段の事情もないのに、右の各事項のすべてにわたる協議をしなかつた場合、あるいは一応は右各事項のすべてにわたる協議が行なわれたとしてもそれが通り一片の形式的なものにとどまり分会の理解と納得を得るために尽すべきを尽したと評価しえないような場合には、右事前協議条項で要求されている協議を経なかつたものとして当該解雇はその効力を生じないものといわなければならない。

3  本件解雇に至るまでの被申請人と分会との交渉の経過

ところで、被申請人が分会に対して人員整理問題を提示してから本件解雇の意思表示をするでまの間の被申請人と分会との交渉の経過は、当事者間に争いがない事実(いかなる事実が争いがないかはつぎの認定事実中において適宜摘示する。)ならびに〈証拠〉によればつぎのとおりであり、〈証拠判断省略〉。

(1) 昭和四三年八月一日、被申請人には大石橋与作を長とする新理事会が発足し、鳥谷邦男が新たに事務局長に就任した。(この事実は、日付の点を除いて争いがない。)

(2) 同月二四日、被申請人は、その経営する立華高等学校の新入生の激減に伴う在校生徒数の減少のため、学校経営が困難におちいつたとして、分会に対し、学園再建のための合理化および教職員の待遇問題を議題とする団体交渉の開催を申し入れた。(この事実は争いがない。)

(3) 同月三〇日、団体交渉の席上、被申請人は、分会に対し、再抗弁一(二)2記載のような、学級再編成により専任教諭約一五名の余剰を生ぜしめ、希望退職を募り、資産を処分し、いわゆる教職員の待遇改善要求に応じない等の内容の合理化案を提示した。(この事実は争いがない。)

(4) その後同年九月末までの間に幾度か団体交渉および立華高等学校父母の会の役員を交えた三者会談が開かれ、右合理化案について話し合われたが、分会は、合理化案は教職員の労働条件、教育条件に対する重大な侵害であること、学年の途中で学級の再編成や教職員の人員整理が行なわれれば生徒の教育に大混乱をおこすこと、そして、このことは学園の前途を危うくするものであること等を理由として絶対反対の態度をとり、交渉の実質的進展はみられなかつた。(分会が合理化案に反対したことは争いがない。)

(5) 同年九月三〇日、父母の会の役員から再抗弁一(三)2(3)に記載のような、教職員全員の同年度末退職、必要最少減の人員の再採用、労使協定の破棄、前記合理化案のたな上げ、新入生募集開始等九項目にわたる提案が労使双方になされた。(このことは、右提案をしたのが父母の会の一部役員にとどまるか否かの点を除き、争いがない。)

(6) 被申請人は同年一〇月二日右提案を受諾したが、分会が同月一七日これを拒否したため、父母の会は、これ以上のあつ旋を無意味と判断し、同年八月三〇日以降八回にわたる被申請人、分会との三者会談において事態の円満な解決のためにとつてきた仲介の労を中止するに至つた。(このことは、分会が右提案を拒否した月日の点を除き、争いがない。)

(7) 被申請人は、前記合理化案について分会と合意に達しない限り、昭和四四年度新入生を迎えてもはたしてその後三年間の教育を保証しうるかどうか自信がもてないとして、本来ならば早ければ七月末、遅くとも九月末には始めるべき新入生募集活動の開始を差し控えていたが、前示のように父母の会が仲介の労を中止するに及んで、昭和四四年度新入生の募集中止を決定し、昭和四三年一〇月二八日東京都学事部にその旨を届け出た。(被申請人が昭和四四年度新入生の募集中止を決定し、昭和四三年一〇月二八日東京都学事部に対しその旨を届け出たことは、争いがない。)

(8) その後同年一一月中旬に集中的に団体交渉が行なわれ、その結果、同月二〇日再々抗弁一(三)に記載のような、被申請人が新入生募集を開始し、教職員の身分保障に努める等の内容を有する協定が成立するに至つた。(このことは争いがない。)

(9) 被申請人は、右協定成立後新入生の募集活動を始めたが、昭和四四年二月一五日に応募を締め切つた際の応募者はわずか八名にとどまり、しかも、これらの応募者もその後全員応募を撤回した。(このことは争いがない。)

(10) このようにして昭和四四年度は新入生が皆無となり、二年生、三年生約一五〇名で教育をやつていかざるをえないという事態が不可避となつたので、被申請人は、父母の会とも協議のうえ、年度末手当の支給等を議題とする同年二月二四日の団体交渉の席上、分会に対し、新年度は教育経験豊かな年輩者を中心として各教科の必要最少人員を確保し、そのために不可欠でない者は整理する、この際退職者には退職社団標準月額の三か月分に相当する退職慰労金を支給する、校長を学内から登用する、教頭制を復活する旨を骨子とする人員整理案を提示した。(右月日に団体交渉が開かれたことは争いがない。)

(11) その後同年三月上旬にかけては卒業式等の諸行事が集中したため、団体交渉が開かれたのはわずか三回であり、しかも、その内容も年度末手当問題と右人員整理案中の退職慰労金問題等が中心であつて、人員整理自体の可否、規模および基準、被整理者の特定については格別の討議は行なわれなかつた。

(12) 分会は、同月六日から一一日にかけて、退職慰労金三か月分が支給される場合を前提として、独自に、校長以下別紙第一掲記の専任教諭二五名および養護担当の日下キミヨ(同人が専任教諭であつたか事務職員であつたかは明らかでない。)の合計二六名について退職の意思の有無を調査し、その結果すでに退職の意思を表明していた堀江校長と清水教諭のほかに退職の意思を有する者が一〇名いることを確認した。

(13) 分会は、右の調査結果に基づき、同月一一日被申請人に対し団体交渉を申し入れ、これによつて開かれた団体交渉の席上、三か月分の退職慰労金の支給が保障されれば一〇名内外の希望退職者がいる、残る一四名の専任教諭の賃金については労使双方で話し合つてゆきたいが、場合によつては経営の許す限りにおいて支払つてもらうことでもよい、そこで、被申請人としてもさつそく希望退職者を募つてほしい旨の提案をした。これに対し、被申請人から、残る一四名の人員をもつと圧縮してほしい、希望退職者を募るかどうかは金策の都合もあるので一七日までまつてほしい旨の発言があつた。

(14) 同月一七日、団体交渉が開かれ、その席上、分会から、社会・保健体育・商業の各教科は一教科二専任、他の教科は一教科一専任計一四名、ほかに社会科の二名を休職として合計一六名を専任教諭として残すという案が提示された。(この事実は争いがない。)

(15) 同月一八日、団体交渉が開かれ、その席上、被申請人から、芸術・司書・養護を除く各教科について一教科一専任合計八名の専任教諭を残すという案が提示され、さらに、被申請人としては分会主張の一四名をなんとか八名に近づけたいので、希望退職者は同月二二日までに文書で退職願いを提出すること、退職者には退職慰労金として退職社団標準月額の三か月分を支給するようにしたいこと、との要綱で希望退職者を募つてみたい旨の提案がなされた。ところが、これに対し、分会から、専任一四名の残留と退職慰労金について協定ができない限り分会としては一〇名の希望退職者にも申出をさせない、もし被申請人が八名のわくを固執して一四名の残留希望者の削減を図るつもりであれば断固拒否する旨の発言があつたので、被申請人は、分会がこのような態度ならば、被申請人が専任一四名の残留を受諾しない限り希望退職者を募る意味がまつたくないので、希望退職者募集を実施するかどうかは他の理事とも相談のうえ最終的に決定したい旨を述べ、次回期日を同月二二日と定めてこの日の団体交渉を終了した。(同月一八日に団体交渉が開かれたこと、被申請人が当初右のような一教科一専任八名案を主張していたことは争いがない。)

(16) 同月二二日、団体交渉が開かれ、その席上、被申請人から、検討事項となつていた希望退職者募集の件は、分会の態度からみて実施しても意味がないと考えるので、実施しない旨の回答があり、それに続いて、一教科一専任八名体制下での時間講師を含めた人員配置案が示され、その際、右八名のほかに校長一名を予定する等のことが説明された。これに対し、分会からも、前示の専任一六名(うち休職二名)案に基づく人員配置案が示され、あわせて、国語科の高橋教諭は芸術科(書道)の免許があるので芸術科の専任にまわしてほしい、社会の田尻教諭は従来幼稚園の副園長をつとめているので幼稚園の専任にしてほしい、英語科はすでに一名退職することになつているので吉武教諭を専任に残してほしい、理科の徳賀教諭は退職してもよいといつているので申請人阿部を専任として残してほしい等の要望が出され、これらの点について質疑応答がかわされたが、これらの者を残留させるとも整理の対象とするとも被申請人からの積極的な意思表示はなかつた。その際、分会から、被申請人が一教科一専任八名案によつて残そうとしている八名の専任教諭の氏名を明らかにするよう要求があつたが、被申請人はこれを拒否した。当日の団体交渉は、分会から提示された前記人員配置案中に含まれていた専任教諭の専任講師への格下げ、休職扱いの問題について被申請人においてさらに検討するということで、次回期日を翌二三日と定めて終了した。(同月二二日に団体交渉が開かれたことは争いがない。)

(17) 同月二三日、団体交渉が開かれ、その席上、被申請人は、前日の交渉で検討事項とした専任教諭の専任講師への格下げおよび休職扱いについてこれを拒否する旨回答するとともに、これまでの一教科一専任八名案を修正して数学科の一名を社会科にまわして同科を二名とし、さらに、事務職員と社会・商業の両科を兼務する専任教諭を一名をふやすといういわゆる九名案を最終案として提示した。これに対して、分会は、前記一六名案から数学と保健体育の各科から一名ずつを減じた一四名案を最終案として提示して相譲らなかつた。その結果、被申請人は、新学期を目前に控えてもはや時間切れの状況にあること、分会が退職を希望しない者は整理すべきでないとの立場を堅持しているためこれ以上交渉を継続しても合意に達することは困難であると思われること等の理由から交渉の打切りを宣した。これに対し、分会は、交渉の続行を求めた。(同月二三日に団体交渉が開かれたが、同日をもつて交渉が決裂したこと、被申請人が九名案を、分会が一四名案をそれぞれ最終案として提示したことは争いがない。)

(18) 被申請人は、同月二六日申請人らに対して本件解雇の意思表示をしたのをはじめとして、同月末ごろまでの間に当時在職していた教職員について別表第一および同第二の各人員整理の結果欄記載のような措置をとり、結局、専任教諭一〇名、時間講師六名(ただし、専任教諭から時間講師に格下げとなつた片桐節子を含む。)事務職員二名および用務員一名を残留させ、その余を整理した。(被申請人が本件解雇の意思表示をしたこと、別表第一記載の各専任教諭、同第二記載の各時間講師と日下キミヨが当時被申請人に在職していて、片桐教諭を除くこれらの者に対して右各表の人員整理の結果欄記載のような措置がとられたことは争いがない。また、右人員整理当時別表第二記載のように事務職員として日下キミヨを除く四名の者がおり、用務員として金子フミがいたこと、これらの者に対する人員整理の結果が同表記載のとおりであることはいずれも申請人らの明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなす。)

(19) 被請申人が右一〇名の残留する専任教諭の氏名を内定した時期は、山田校長と榎本教頭が同月上旬、商業科の剣地教諭が同月二〇日ないし二一日、家庭科の海野教諭が同月二一日ないし二二日、国語科の大橋教諭が同月二二日ないし二三日、英語科の吉武教諭と商業科の森教諭は同月二三日、社会科の田尻教諭、理科の徳賀教諭および保健体育科の田中教諭は同日の前示団体交渉終了後であつた。(右一〇名の専任教諭が残留したことは争いがない。)

4  むすび

右認定の事実によれば、本件解雇に至るまでの右の程度の交渉をもつて本件解雇の必要性、規模および基準について本件事前協議条項にいう「話合い」を十分に尽したものといいうるかどうかはしばらくおくとしても、少なくとも被解雇者の特定ということについてはほとんどといつてよいほど話合いがなされていないことが注目される。すなわち、被申請人は、昭和四四年三月二二日の団体交渉において分会から被申請人がその提示の一教科一専任八名案によつて残そうとしている専任教諭の氏名を明らかにするよう要求されたのに対してこれを拒否し、右八名案あるいは同月二三日の団体交渉において提示した九名案により数学、芸術、司書および養護の各教科には専任教諭をおかないことを明示したことによりわずかに数学および司書担当の専任教諭(なお、芸術には当時専任教諭はなく、養護に専任教諭がいたか否かは明らかでない。)が整理の対象となることを明らかにした以外には、ついに被申請人の側から特定の専任教諭の氏名をあげてその者が人員整理の対象となるか否かを明らかにしたことは一度もなかつた。また、同月二二日の団体交渉においては、分会から国語科の高橋教諭、社会科の田尻教諭、英語科の吉武教諭、理科の徳賀教諭と申請人阿部等については氏名を特定しての留任等の要望があり、これについては被申請人との質疑応答もあつたが、その際にも被申請人から右各人についてすら残留させるとも整理の対象とするとも積極的な意思表示はなかつた。しかも、被請申人は、残留させた一〇名の専任教諭のうちの一部の者については、同月二三日の団体交渉が決裂したのちに残留させることを決定しているのである。右のような事実にかんがみると、本件解雇は、少なくとも被解雇者の特定ということについては本件事前協議条項で要求する「話合い」がほとんど行なわれないままなされたものであつて、これを本件事前協議条項違反でないと評価するに足りるような特別の事情はあらわれていないから、その余の点について検討するまでもなく、本件解雇の意思表示はその効力を生じないものといわざるをえない。

(四)  結論

よつて、申請人らは、いずれも現在なお被申請人の専任教諭たる地位を有するものというべきである。

二、賃金請求権について

弁論の全趣旨によれば、申請人らは昭和四四年三月二六日以後も被申請人に対し専任教諭として就労すべく労務を提供したことが認められる。

申請の理由四の事実(賃金額等)および同五の事実中申請人山中が被申請人から昭和四四年四月以降毎月時間講師としての賃金一九、六〇〇円の支払いを受けていることは、当事者間に争いがない。

右の事実によれば、申請人らは、昭和四四年四月以降も毎月二一日限り当月分の賃金として申請の理由四記載の額の賃金(ただし、申請人山中については、すでに右一九、六〇〇円の支払いを受けた月については約定賃金額三七、六五〇円と右一九、六〇〇円との差額一八、〇五〇円)の支払いを受くべき権利を有するものというべきである。

三、仮処分の必要性

〈証拠〉によれば、申請人らがいずれも被申請人から支払われる賃金のみによつて生計を維持しており、本案訴訟の判決確定まで右賃金の支払いを受けられないときは生活上著るしい損害を蒙るおそれのあることが疏明される。

四、結語

以上の次第であるから、申請人らが被申請人の専任教諭たる地位を有することを仮に定め、あわせて、被申請人が昭和四四年五月以降毎月履行期の後であるその末日限り申請人石橋に対し一か月四五、三三〇円、申請人阿部に対し一か月三六、六三〇円、申請人森川善弘および申請人森川礼子に対し各一か月三四、一五〇円、申請人久保に対し一か月三五、五〇〇円、申請人恩田に対し一か月三四、一二〇円および申請人山中に対し一か月一八、〇五〇円の各割合による賃金相当額の仮払いを求める本件仮処分命令申請はこれを相当としてすべて認容すべく、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(沖野威 小笠原昭夫 石井健吾)

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